5/4(Sat)

今日の生放送

かずよねだ

Kaz 米田

アソシエイト・ディレクター

2012年にtakram design engineeringへ正式参加 建築と都市デザインを専門としtakramでは「Shenu」takram Omotesando」Chicago Laboratory」を手がける 新たな建築セオリーを模索しより原型的な「文化創」概念を研究 シアトル市生まれシリコンバレー育ち コーネル大学B.Arch修得ハーバードGSD大学院M.Arch2修士課程修了 終了後2011年、建築家伊藤豊雄氏率いる同大学院東京スタジオにてTeaching Associateに着任 2013年、東京大学工学部建築学科で学部生に設計課題を指導するUnitMaster(非常勤講師に相当)に着任

Kaz 米田

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担当のコース

「アーキテクチャ」は必ずしも「建築」ではありません。ですが、「建築」は「アーキテクチャ」の一部です。 子供の頃、言語化できなかったことがあります。 それは人々が感情豊かに共存できる世界を描いて実現することでした。 そこで建築学に出会い、その道を求めて来ましたが、実際は建物や意匠に偏りがちでした。ただ、根源に遡るにつれ「アーキテクチャ」は建築を越境したスケールの概念であり、想像と構造を両立した創造というコインの両側なのではと思うようになりました。幼いながら思い描いていたのは、アーキテクトになり、アーキテクチャを通じて社会を創造したいことだと気付いたのです。 他の分野で「アーキテクチャ」と言う言葉をよく耳にします。インフォメーション・アーキテクチャなどの構築的な意味が広く社会に浸透しているように伺えます。それは少なからず「アーキテクチャ」という概念が建物にのみとらわれなくなった事を示しています。一方で、それでさえ「アーキテクチャ」の一側面のみを捉えたものに思えます。 我々の複雑化した社会においては構造や現実性と言ったパラメーターがよく飛び交います。ただ、それらだけを追求すると「アーキテクチャ」にとって同等に重要な部分を見失います。「想像」する自由と勇気です。そのアンバランスの決定的な副作用が、複雑性を枷にユートピアを想像できなくなっている現代社会にあります。強いて言えば、「アーキテクチャ」はユートピアを創造して行く為に必要な想像的、構造的試行を指します。ユートピアのヴィジョンなくしてどうやって、不可能かも知れないが明るい未来に向けて道無き道を進む事ができましょうか。 そこで、今回の授業では、文化創造(Cultural production)する上で、建築という一分野に捕われない「アーキテクチャ」的思考の今と未来についてをお話しします。私やtakramができることは、「アーキテクチャ」を通じて、複雑な世界において多種多様なユートピアを描いて、あらゆる想像的、構造的ツールを駆使して創造していくことなのではないかと思うのです。 あの子供の頃の無邪気な想いの様に…。

担当の授業一覧 全1授業

タクラムと考える未来の文化創造に必要なアーキテクチャ思考

第1回 タクラムと考える未来の文化創造に必要なアーキテクチャ思考(80分)

2014年1月31日放送

「アーキテクチャ」は必ずしも「建築」ではありません。ですが、「建築」は「アーキテクチャ」の一部です。 子供の頃、言語化できなかったことがあります。 それは人々が感情豊かに共存できる世界を描いて実現することでした。 そこで建築学に出会い、その道を求めて来ましたが、実際は建物や意匠に偏りがちでした。ただ、根源に遡るにつれ「アーキテクチャ」は建築を越境したスケールの概念であり、想像と構造を両立した創造というコインの両側なのではと思うようになりました。幼いながら思い描いていたのは、アーキテクトになり、アーキテクチャを通じて社会を創造したいことだと気付いたのです。 他の分野で「アーキテクチャ」と言う言葉をよく耳にします。インフォメーション・アーキテクチャなどの構築的な意味が広く社会に浸透しているように伺えます。それは少なからず「アーキテクチャ」という概念が建物にのみとらわれなくなった事を示しています。一方で、それでさえ「アーキテクチャ」の一側面のみを捉えたものに思えます。 我々の複雑化した社会においては構造や現実性と言ったパラメーターがよく飛び交います。ただ、それらだけを追求すると「アーキテクチャ」にとって同等に重要な部分を見失います。「想像」する自由と勇気です。そのアンバランスの決定的な副作用が、複雑性を枷にユートピアを想像できなくなっている現代社会にあります。強いて言えば、「アーキテクチャ」はユートピアを創造して行く為に必要な想像的、構造的試行を指します。ユートピアのヴィジョンなくしてどうやって、不可能かも知れないが明るい未来に向けて道無き道を進む事ができましょうか。 そこで、今回の授業では、文化創造(Cultural production)する上で、建築という一分野に捕われない「アーキテクチャ」的思考の今と未来についてをお話しします。私やtakramができることは、「アーキテクチャ」を通じて、複雑な世界において多種多様なユートピアを描いて、あらゆる想像的、構造的ツールを駆使して創造していくことなのではないかと思うのです。 あの子供の頃の無邪気な想いの様に…。