スライド資料
授業の概要
こんな人にオススメ
自分らしくよりよい人生を送りたい人
担当の先生/パーソナリティ
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中村 秀夫
一般社団法人日本クレーンゲーム協会代表理事
1960年、東京都江東区生まれ。4人兄弟の末っ子として生まれる。 両親、二人の兄、姉の全員が会社経営者。 1990年 東洋本店(エブリディ北本店)開店から著者の経営者人生がスタート。 最初に就職した眼鏡会社から、宝飾会社、家電販売、ゲームソフトの売買など 生涯で10回以上、業態転換している。リサイクルショップは25年間経営している。 2000年、エブリディ太田店リニューアル。その時にクレーンゲームを本格的に導入。 現在、15億円の年商だが、順風満帆ではなく、 2011年、東日本大震災により年商が半分以下になり、一時は倒産を決意。 ほぼ残ってくれた社員達と、潰れたゲームセンターのクレーンゲーム機をすべて引き取り、 埼玉県の行田市(田んぼのど真ん中)に世界一大きなクレーンゲームセンターをつくる。 いつしかゲーム機は300台を突破し、世界ギネス記録に認定される。 著者のアイデアにより、世界初「宝石キャッチャー」を生み出し、マスコミで大ブレイク。 各民放を始め、NHKでも取り上げられる。発端はマツコ・デラックスさんだった。 「必ず、お客さまに景品を取らせる」をモットーに、ゲーム業界ではだれもやっていない <100円で8回操作できるクレーンゲーム> を導入したところ、店には行列ができる。 その後、「隕石キャッチャー」「化石キャッチャー」など新企画を連発。 閑古鳥が鳴いていた店が、土日祝日には、100人が行列するような繁盛店に生まれ変わる。 震災後経営が厳しくなったとき、いつのまにか、利益ばかりを気にするようになっていた。 そんなとき、会議で放たれた行田店店長の一言 「俺、もっとお客さまに笑顔になってもらいたいです!」 に「はっ」として原点に立ち戻り、気持ちを新たに再スタート。 年商15億を突破。30期にして最高益を出すまでに、業績はV字回復した。 著者のミッションは、これからも100円玉でお客さまの笑顔を作り続けることである。
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中田 有香
スクー放送部