<以下書き起こし全文>

【質問】
仏教からみてキリスト教やイスラム教の存在はどう見えているのでしょう?

【回答】
それぞれその、役割というか考え方の違いというのがあると思うんですね。ただその共通しているっていうのは全ての宗教、伝統的な宗教ということですけども、共通しているのは「慈悲の心」だと思うんですよ。自愛慈悲。でこれをどうやって体現するかっていうところがこの違いになってくると思うんですね。
目指すところは自愛慈悲っていう同じなんだけれども目指し方が違うと。
で、その例えば、キリスト教だとするとですね、キリスト教ってのは全能の神がいらっしゃるわけじゃないですか。全能の神がいらっしゃってその神が全てのものを創造したと、作ったと。だから、敵であってもそれを愛しなさいと。そういう思想ですよね。で、しかし仏教ってのはですね、唯一全能の神を信じていないわけですね。

どうやって慈悲の心を表現するのかということなんですけども、それがまさに空の思想だと思うんですね。空っぽ空の思想。空っていうのは何もないって意味じゃないんですよ。例えばコップありますね。コップをどんどん細かくしていったら分子になるじゃないですか。

もっと細かくしたら原子になるじゃないですか。もっといったらニュートリノになって、最近ノーベル賞とった先生がヒッグス粒子があるとか言うて、結局これの原点、元はなにかっていうのを私達わかってないわけじゃないですか。
解明しきれていない。要はこのコップが何であるかという本質をつかめてないんですよ。
で、でもその源がなにかっていうのは分からないけども、ここにコップがないかって言われたら、あるわけじゃないですか。
でその仏教っていうのは、何を言わんとしてるかっていうと、単独では存在できてないってことが大事なんですね。諸行無常諸法無我っていうんですけども、ですから周りとの関係性において初めて成り立つと。ですからもっと直感的に言うと、今ってありますよね。今。今ってつかめないでしょ。「いー」って言った瞬間に今って終っちゃうじゃないですか。

今っていった瞬間にはもう今じゃないんですよ。「いー」っていったらもう終っちゃう。
今はつかめないけど、今がないのか、っていったら今はあるわけですよね。それと同じで今っていうのは、未来とか過去があるから今があるんであって、つかめないんですよ。
それと同じで全てのものは単独では存在出来ずにいろんなものごとの関係性の中にあると。
だから周りのもの、他のものに対して、慈悲の心を持ちなさい。ということなんですね。
ですから、そうやって考え方は違うんだけれども、根本にあるところは慈悲の心ということなので、そういうところでお互いにアプローチが違うのでね、なかなか全てを分かり合うっていうのは難しいんですけど、ただ、目指すところは一緒であるのでもうちょっとこう理解を深めていく努力は必要かなと思いますけどね。

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