<以下書き起こし全文>

50代後半の男性で、家族はいない、子供もいない、親しい友だちもいないと、自分は明るい自殺をしたいと思っているとようはこのままいったら60歳を超えて国は自分に年金を払わなければいけないと、今自殺をしたら自分の周りには親しい人もいないし友達もいないし悲しむ人はいないと、で、しかも無駄なお金を自分に投入される必要がないと、だから私は明るい自殺をしようと思っているというそういう投稿があって、それに対して君たちこの自殺は有りか無しかという話をしたんですね。

私は、無いしやと思うんですよ。しちゃいけないっていう。
なぜかというと、それは自分のことしか考えてないってことなんですね。命っていうのはですね、命って自分単体で考えたら生まれて死ぬということで簡潔してるように思えるかもしれないですけど、この間ソチ・オリンピックありましたよね?ソチ・オリンピックでこう聖火つないでいくじゃないですか。
1つ1つの聖火はついて消えていくけれども、聖火ってずーっとつながっていくわけでしょ。最後灯火されるまで。
で私達の命って、30何億年ぐらい前から途切れてないんですよ。途切れてないから今いるわけでしょ。
で、例えばドミノってあるじゃないですか、ドミノやって、倒れていって、途中でぱたっと倒れたりすると、どう思う?って思うんです。
お前何しとんねんって思うと思うんです。今まで倒れた人もその後の人も、お前何止まっとんねん。って思うとおもうんですよ。
で、その生命っていうのはそれだけで考えたら自分で簡潔してるように思うけれども実はこれずーっとつながってるんですよね。
かつ、こう自分の両親いるじゃないですか、両親が2人、おじいさんおばあさんで4人いるわけですよね。
その上のひいおじいさん、ひいおばあさんは8人いますよね。
要は倍々でいくわけですよ。自分と自分の両親の年齢差が例えば25年だとすると、10世代前というと、250年前。っていうとそこの段階でご先祖さん昔の段階で、このおじいさんとこのおじいさんが同じ、ってありますけども、でも数字上でいうと1000人以上の人のお世話になってるわけですよね。

で、平安時代まで遡ると延べ人数でいうと今の地球の人口なんですよ。60億人ぐらい。
なんですよ。60億人の人が関わっていて自分の命があるのに、それを自分で止めてしまうという行為はあかんと思うんですよね。
なので、そういう意味でこう慈悲、自愛ですよね。ラブ&コンパッションですよね。
自分たちの周りにいる人だけでなくて昔世話になったご先祖さんも、子孫もいろんなことを考えてやらなあかんよっていうそういうことだと思うんですよね。
だからこう苦しいのに自殺してはいけないっていうのは、その生命はあなたの命ではないからっていうのが、私だったらそういいますね。

メニュー

まとめ記事

  • このエントリーをはてなブックマークに追加