授業の概要
こんな人にオススメ
成功者の失敗から学びたい人
担当の先生/パーソナリティ
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柳亭 小痴楽
落語家 落語芸術協会所属 二つ目 オスカープロモーション所属
生年月日 1988年12月13日 趣味大の読書好き・心霊スポット巡り・バスケットボール・サッカー・洋服 略歴 1988年12月 五代目柳亭痴楽の次男として生まれる。 2005年10月 二代目桂平治(現:桂文治)へ入門「桂ち太郎」で初高座。 2008年6月 父(痴楽)の門下に移り「柳亭ち太郎」と改める。 2009年9月 父(痴楽)の没後の、柳亭楽輔(父(痴楽)の弟弟子)門下へ 同年11月 二ツ目昇進を期に「三代目柳亭小痴楽」を襲名 2011年2月 「第22 回北とぴあ若手落語家競演会」奨励賞を受賞。 2015年10月 「平成27 年度NHK 新人落語大賞」ファイナリスト 2016年10月 「平成28 年度NHK 新人落語大賞」ファイナリスト
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飯田 覚士
第9代WBA世界スーパーフライ級チャンピオン
1988年、大学入学と同時にボクシングを始め、1990年、NTV「天才たけしの元気が出るテレビ!」の企画<ボクシング予備校>に参加。 同年、プロテストに合格。 1991年3月、名古屋の緑ジムでデビュー後は、破竹の勢いで新人王、日本チャンピオンと連勝を重ね、1996年、無敗のまま世界タイトルに挑戦するも、5回TKO負けで初敗北を喫する。 1997年4月に2度目の世界挑戦をするが、無念の引き分け。 同年12月に、3度目の挑戦にて悲願の世界タイトルを奪取。 その後、2度の防衛を成功させ、1998年12月、3度目の防衛戦の際、試合中に右肩が脱臼するアクシデントに見舞われ、挑戦者の猛攻に晒されるが、左腕のみで試合を続け、なんとかダウンだけは拒み続けるが、無念の判定負けで王座陥落。 翌年2月、右腕の怪我が完治せず、引退を表明。 現在は、飯田覚士ボクシング塾 ボックスファイを都内に設立。 飯田が現役時代から取り組み世界王者獲得を支えた眼の専門トレーニング「ビジョントレーニング」と、体をスムーズに動かす為の「コーディネーショントレーニング」を融合させ、更に子ども達が楽しみながら続けられるようにゲーム性をプラスした「脳トレボクシング」というプログラムを開発し、眼、脳、身体の育成、向上を即すために、特に子供向けにトレーニングを展開している。
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徳田 葵
スクー放送部