「結婚してくれないか」
男がそう切り出したのは、窓の外で夕日が最後の輝きを収束させようというころだった。
予期せぬ言葉に、女は瞬時に固まった。男の部屋でくつろいでいるところに、突然のプロポーズだ。まさかこのタイミングでそんなことを言われるとは思ってもいなかったし、そもそもまだ若いこともあって、男との結婚を真剣に考えたことはこれまでなかった。
「……どうかな? おれじゃ、ダメかな?」
女は一瞬遅れて答える。
「いや、ダメじゃないけど……」
「けど?」
息を詰めてこちらを見つめる男に、女は言葉が出てこなかった。
男はつづける。
「本気なんだ。ずっと前から、いつ言おうか考えてた」
「でも、まだ親にも紹介してないじゃん……」
「それは後でもいいんじゃない?」
返す言葉が思い浮かばず、女は黙る。
合わせるように男も黙り、部屋には夕日が差し込むのみだ。
女は戸惑いつつも、何とか頭を回転させて考えた。このプロポーズを受けてしまってよいものか、と。
たしかに彼は悪い人ではないと思う。いつも優しくしてくれるし、声を荒げてケンカをしたこともほとんどない。けれど、女にとっては少し物足りない感じもしていた。どこか彼の素の部分が見えていない気がするというか……裏がありそうとまで言ったら申し訳ないけれど、もっといろいろと本音をぶつけあって、彼のことをまだまだ深く知っていきたいというのが正直なところだった。
その一方で、自分の容姿は過大評価したとしても、せいぜい世間並といえることも自覚している。ここで断って、この先、いま以上に良い出会いが待ち受けていると期待するのは、あまりに安易だ。何より、それこそ彼をまだ見ぬ架空の相手と比べて天秤にかけるだなんて、分不相応というものだろう。それに、世間ではまだ若いと言われる年齢かもしれないけど、早く結婚して地盤を固めるほうが安定した人生を送れるような気もする。
いや、でも、と女は思う。若いうちはもう少し遊んだほうがいいのかな……。
いやいや、でも、と、また思う。自分にとって彼は十分素敵なんだから、迷うなんて贅沢じゃない?
長いあいだ沈黙がつづき、やがて気まずさが満ちはじめたころ、女は不意に口を開いた。
「……ねぇ、二人でババ抜きしない?」
「は?」
男は思わず、変な声をあげてしまった。
「ババ抜き。ほら、トランプの」
「いや、それは知ってるけどさ……」
男は困惑を隠せないでいる。
「それって、プロポーズの返事、いまはもらえないってことでいいのかな?」
「ううん、そうじゃなくて。 返事を運命にゆだねるのはどうかなって 」
女は言う。
「贅沢な悩みだって分かってるけど、正直、どっちを選んだらいいか分からないの、考えれば考えるほど。だから、いっそ神様に決めてもらうのはどうかなっていう提案。ババ抜きでそっちが勝てば、喜んで受け入れる。逆にそっちの手元にババが残れば……」
「ちょっと待ってよ! 人生の大事な決めごとを、ババ抜きなんかで決めるっていうの? えっ、本当に? それって、どうなの?」
「じゃあ、ほかにいいやり方はある?」
女の言葉に、男は詰まる。
「保留、ってことじゃダメなの……?」
「……うん、決めるなら、いま決めたい」
男はしばらく唸りながら眉間をおさえた。彼の中でもいろいろな考えが渦巻いていた。
が、ついに男は腹をくくった。
「分かった。やろう、ババ抜き。それで決めよう」
「……いいの?」
「だって、それしか方法はないんでしょ? だったら、しょうがないじゃん。そっちの考えも尊重したいし。えっと、トランプはどこにしまったっけな……」
男は机の引き出しをいくつか開けて、それを見つけて引っ張り出した。
「じゃあ、まあ、さっそくだけど……」
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